運転主の告白

私がタクシードライバーになって最初のトラブル

日本がバブルの真っ最中でしょうか!既に終わりかけの頃だったと思います。

1990年東京

体調を壊して1ヵ月程休養をとって、さて今までの仕事を続けるべきか考えました。

殆ど夜お客さんを飲食店にお招きして気持ち良くなった所で契約の段取りをする不動産の融資売買の仕事をしておりました。

自分だけ素面でいるわけにも行かず毎日のように接待で暴飲暴食の日々でした。

30代の若さで持っていたのかも知れませんが、さすがに3年間もこんなことを続けていると体調を崩して入院することになりました。

お医者さんに肝機能の数値が最悪と言われ数日点滴入院後、休養をとりました。

このまま今の仕事を続ける訳には行かないと悟り、神奈川の知り合いから逃げるように東京に住所を変えて音信普通としました。

仕事で断り切れない付き会いが出来てしまっていたので、そうせざるをえません。

暫くの間は、盛んに連絡が来ていましたが、半年もすると幾分静かになりました。

タクシードライバーに

そんな時高校時代の友人でタクシー会社の事務員をしているという友人に誘われて取り合えずタクシードライバーになって見たらと言われて務めることにしました。

タクシードライバーの仕事は1日24時間勤務して、次の日は休みというシステムがほとんどです。

所謂2日働いて次の日1日休日といったところでしょうか。

なので時間の間隔はアット言うまに過ぎてしまう感じがします。

飲んで

ABOUT ME
宗像 保男
鹿児島県生まれ、炭鉱夫だった父が神奈川県川崎市の工場に転勤になったので4才の私は家族と共に川崎市登戸に引越して来ました。 その後小学校5年の時に品川の社宅に転居します。 中学・高校は品川区でしたが高校2年生の時に父が相模原市に一戸建を購入したので家族と相模大野に引越します。 相模大野から品川の高校を卒業するまで1時間電車通学をしました。 その後高校を卒業すると相模原の建設機械製造会社に入社しましたが、5年後に不動産の営業マンに転職しました。 営業の仕事は時間が不規則で、しかも業者との仕事の付き合いで暴飲暴食により体調を壊して入院してしまいます。 退院後に約8年務めた不動産会社を退社してしまい、悩んでいる時にタクシードライバーをしていた高校時代の友人に誘われてタクシー業界に入りました。 日の丸交通に約10年お世話になり個人タクシーの試験を受けられる資格が整ったので、試験を受け合格しました。